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病気などは容易に治る
病気などは容易に治る
未発表、昭和11(1936)年5月17日執筆
今日、社会における療病法を検討する時、その余りに治病能力のないのに驚くのである。
仮に、盲腸炎、窒扶斯(チフス)、肺炎位の程度の病気であってさえ、早くて一、二ケ月――長きは半ケ年にも及ぶのが実際である。しかも、不幸にして生命を落す者さえあるに到っては、実に驚くの外は無いのである。しかも、病気によっては二年三年、又十年以上に及ぶ者さえ有ると言う事実は、驚くよりも歎かざるを得ないのである。
しかし、世人はこれを常態として何ら怪まず――ただ諦めているという果敢(はか)ない実状である。私はこれらを視る時、現代人が余りに健康を恵まれない事に、悲しまざるを得ないのである。実に上は高位高官を初めとし――社会に相当『名を成す者』、又は天下国家の為――相当の抱負を抱いている者――手腕ある者――大天才ある者等々が割合――働き盛りの年齢で、すくなからず死んで行くのを見る毎に、痛歎を禁じ得ないのである。その他――大志を抱いて病床に呻吟する者、偉才を抱きながら、療病生活に懊悩(おうのう)を続けつつある者、後継者を失って自失する者、事業の蹉跌(さてつ)に遭う者、一家離散する者、財産を蕩尽(とうじん)する者等、それら不幸者を調査したなら――いかなる多数に上るや量り知れないであろう。それは――その悉(ことごと)くが容易に病気が治らないという、その一点に帰するのである。
私が日々多くの病者を取扱いつつある、その経験に依れば、いかなる病気も実に容易に治癒されてゆく。難病などという言葉は私には無いのであるが、ただしかし、割合日数の多くかかるものがある。それはなぜであるかといえば、病気が重患であるからではない。実際を言えば――薬剤の毒である。即ち薬剤を多量に服用した者注射療法をされた者等であって、実に薬剤によって血液を溷濁(こんだく)させられ、浄化力薄弱になったが故である。又、その他の原因としては、電気や光線療法によって病膿を固結させたが為である。
故に、忌憚なく言えば、薬剤及び物理療法によって自然治癒力を衰弱させたが為である。要するに、現代医学の治療に災させられたる為であるから、その誤療を訂正するそれに対しての日数がかかるのである。
故に、医療の少ない者程治癒が速かであるのが、実験の結果として瞭(あきら)かになったのである。 そうして、それは長年に及び多数の患者を扱えば扱う程、いよいよ顕著になってゆくばかりであって、今日は最早一点疑う余地が無いまでに確実になった事である。この様な説を読む世人としては、実に驚愕するであろうし、殊に専門家諸君はより以上驚愕するであろうが、事実はどうする事も出来得ないのである。故に、この様な説を発表するにおいて、医に関係ある多数人士に対しては、実に忍びないのであるから、それが為、長い間いか程躊躇(ちゅうちょ)逡巡した事であろう。しかしながら、益々社会大衆の病患者激増を目前にして、最早晏如(あんじょ)たる能(あた)わず、勇を鼓して発表するの余儀なきに到ったのである。
故に、政府者も専門家も一般大衆諸君も、この説に対し、活眼を開いて徹底的に検討されたいのである。この根本が真に明瞭になった暁――病気は治り易いという真理を発見する事が出来るのは必然である。
ただし、ここに一言言っておきたい事は、灸治法、掌療法、指圧等、薬剤と物理を応用してない患者は、いずれも多少の効果を奏して居る事は認め得らるるのである。http://www.tokyo-reimei.or.jp/jp/0301_mok.htm
未発表、昭和11(1936)年5月17日執筆
今日、社会における療病法を検討する時、その余りに治病能力のないのに驚くのである。
仮に、盲腸炎、窒扶斯(チフス)、肺炎位の程度の病気であってさえ、早くて一、二ケ月――長きは半ケ年にも及ぶのが実際である。しかも、不幸にして生命を落す者さえあるに到っては、実に驚くの外は無いのである。しかも、病気によっては二年三年、又十年以上に及ぶ者さえ有ると言う事実は、驚くよりも歎かざるを得ないのである。
しかし、世人はこれを常態として何ら怪まず――ただ諦めているという果敢(はか)ない実状である。私はこれらを視る時、現代人が余りに健康を恵まれない事に、悲しまざるを得ないのである。実に上は高位高官を初めとし――社会に相当『名を成す者』、又は天下国家の為――相当の抱負を抱いている者――手腕ある者――大天才ある者等々が割合――働き盛りの年齢で、すくなからず死んで行くのを見る毎に、痛歎を禁じ得ないのである。その他――大志を抱いて病床に呻吟する者、偉才を抱きながら、療病生活に懊悩(おうのう)を続けつつある者、後継者を失って自失する者、事業の蹉跌(さてつ)に遭う者、一家離散する者、財産を蕩尽(とうじん)する者等、それら不幸者を調査したなら――いかなる多数に上るや量り知れないであろう。それは――その悉(ことごと)くが容易に病気が治らないという、その一点に帰するのである。
私が日々多くの病者を取扱いつつある、その経験に依れば、いかなる病気も実に容易に治癒されてゆく。難病などという言葉は私には無いのであるが、ただしかし、割合日数の多くかかるものがある。それはなぜであるかといえば、病気が重患であるからではない。実際を言えば――薬剤の毒である。即ち薬剤を多量に服用した者注射療法をされた者等であって、実に薬剤によって血液を溷濁(こんだく)させられ、浄化力薄弱になったが故である。又、その他の原因としては、電気や光線療法によって病膿を固結させたが為である。
故に、忌憚なく言えば、薬剤及び物理療法によって自然治癒力を衰弱させたが為である。要するに、現代医学の治療に災させられたる為であるから、その誤療を訂正するそれに対しての日数がかかるのである。
故に、医療の少ない者程治癒が速かであるのが、実験の結果として瞭(あきら)かになったのである。 そうして、それは長年に及び多数の患者を扱えば扱う程、いよいよ顕著になってゆくばかりであって、今日は最早一点疑う余地が無いまでに確実になった事である。この様な説を読む世人としては、実に驚愕するであろうし、殊に専門家諸君はより以上驚愕するであろうが、事実はどうする事も出来得ないのである。故に、この様な説を発表するにおいて、医に関係ある多数人士に対しては、実に忍びないのであるから、それが為、長い間いか程躊躇(ちゅうちょ)逡巡した事であろう。しかしながら、益々社会大衆の病患者激増を目前にして、最早晏如(あんじょ)たる能(あた)わず、勇を鼓して発表するの余儀なきに到ったのである。
故に、政府者も専門家も一般大衆諸君も、この説に対し、活眼を開いて徹底的に検討されたいのである。この根本が真に明瞭になった暁――病気は治り易いという真理を発見する事が出来るのは必然である。
ただし、ここに一言言っておきたい事は、灸治法、掌療法、指圧等、薬剤と物理を応用してない患者は、いずれも多少の効果を奏して居る事は認め得らるるのである。http://www.tokyo-reimei.or.jp/jp/0301_mok.htm
病気を治す薬は一つも無い
病気を治す薬は一つも無い(岡田茂吉師御論文です)
『新日本医術書』昭和11(1936)年4月21日執筆
薬では、病気が治らないという事は、医家自身も常に痛感している事であろう。しかし、ただ、苦痛を緩和する効果はある。要するに、病気を弾圧するか、又は、麻痺に寄〔依〕って一時苦痛の感受を軽減し得るだけの事である。薬剤とは、それ以外の何物でもないのである。しかしながら、常に私も言うごとく、苦痛とは病気治癒工作の過程であるから、苦痛緩和はそれだけ、病気治癒を遅らす道理である。のみならず、それに、薬剤の余毒が伴うのであるから、二重の不利を受ける訳である。実に薬剤による血液の汚濁は恐るべきものであって、それは、いかなる薬剤といえども、多少の血液汚濁は免かれないのである。
血液汚濁の害としては、浄化力を衰耗させる結果、著しく活力を減退さす事である。故に、その結果として、病気に罹り易くなり、病気治癒の力が弱まるのである。それは、濁血程殺菌力が無いからである。
かくのごとく、薬剤なるものは病気治癒を遅らせる事と、血液を汚濁させる害がある以上、他面、苦痛を緩和させるという益と比較してみる時、それは、害の方がはるかに優っている事を知らねばならないのである。
しかるにも不拘(かかわらず)、近代人は無暗に薬剤を用いたがる。それは全く薬剤の害を知らないからであるから、一日も早くこの理を知悉(ちしつ)させなければならないのである。近代人の罹病率や短命の多きと病気治癒の遅々たる事実は、少くともこれが原因である事は、争う余地が無いのである。
二六時中、薬餌に親しみながら、これという病気もなく、といって健康にもならないという人は、大抵皆、薬剤中毒患者と言ってもよいので、そういう人は薬剤使用を廃止すれば、漸(ぜん)を逐(お)うて健康は恢復するのである。
私は大いに叫びたい。国民保健は、薬剤廃止からである……と。
(昭和十一年四月二十一日)http://www.tokyo-reimei.or.jp/jp/0301_mok.htm
『新日本医術書』昭和11(1936)年4月21日執筆
薬では、病気が治らないという事は、医家自身も常に痛感している事であろう。しかし、ただ、苦痛を緩和する効果はある。要するに、病気を弾圧するか、又は、麻痺に寄〔依〕って一時苦痛の感受を軽減し得るだけの事である。薬剤とは、それ以外の何物でもないのである。しかしながら、常に私も言うごとく、苦痛とは病気治癒工作の過程であるから、苦痛緩和はそれだけ、病気治癒を遅らす道理である。のみならず、それに、薬剤の余毒が伴うのであるから、二重の不利を受ける訳である。実に薬剤による血液の汚濁は恐るべきものであって、それは、いかなる薬剤といえども、多少の血液汚濁は免かれないのである。
血液汚濁の害としては、浄化力を衰耗させる結果、著しく活力を減退さす事である。故に、その結果として、病気に罹り易くなり、病気治癒の力が弱まるのである。それは、濁血程殺菌力が無いからである。
かくのごとく、薬剤なるものは病気治癒を遅らせる事と、血液を汚濁させる害がある以上、他面、苦痛を緩和させるという益と比較してみる時、それは、害の方がはるかに優っている事を知らねばならないのである。
しかるにも不拘(かかわらず)、近代人は無暗に薬剤を用いたがる。それは全く薬剤の害を知らないからであるから、一日も早くこの理を知悉(ちしつ)させなければならないのである。近代人の罹病率や短命の多きと病気治癒の遅々たる事実は、少くともこれが原因である事は、争う余地が無いのである。
二六時中、薬餌に親しみながら、これという病気もなく、といって健康にもならないという人は、大抵皆、薬剤中毒患者と言ってもよいので、そういう人は薬剤使用を廃止すれば、漸(ぜん)を逐(お)うて健康は恢復するのである。
私は大いに叫びたい。国民保健は、薬剤廃止からである……と。
(昭和十一年四月二十一日)http://www.tokyo-reimei.or.jp/jp/0301_mok.htm
病気と医学
病気と医学(岡田茂吉師御論文です)
未発表『文明の創造』昭和27(1952)年執筆
前述のごとく、私は反文明の原因としての、戦争と病気の二大苦を挙げたが、その外に今一つの貧困がある。しかしこれは戦争と病気とが解決出来れば、自然に解決さるるものであるから書かないが、まず戦争の原因から説いてみると、これはもちろん精神的欠陥すなわち心の病気にあるので、これも肉体の病気さえ解決出来れば、共に解決さるべきものである。
右のごとく病気も、戦争も、貧困も同一原因であるとしたら、真の健康人すなわち霊肉共に完全な人間を作ればいいのである。しかしこう言えば至極簡単のようであるが、実はこれが容易でない事は誰も想像されるであろう。しかし私から言えば、決して不可能ではない。何となれば必ず解決出来得るだけの方法を、神から啓示されているからで、これが私の使命でもあり、その一段階としてのこの著である。
従ってまず病気なるものから書いてみるが、病(やまい)と言っても前述の通り、肉体と精神との両方であるが、現代人は普通病とさえ言えば、肉体のみのものと思っているところに誤りがあるので、この精神の不健康者こそ、戦争の原因となるのである。そのような訳でどうしても人間が肉体と精神と共に本当にならない限り、真の文明世界は生まれないのは言うまでもない。ではどうすればそれが実現され得るかというと、それにはもちろんその根本が解ると共に、可能の方法も発見せられなければならない。ところが私はそれに関する根本義を発見し、しかも絶対解決の方法までも把握し得たので、ここに詳細徹底的にかくのである。それについてはまず吾々が住んでいるこの地上の実相から解いてみるが、元来この地上の一切、今日までの学問では物質のみの存在とされており、それ以外は無とされて来たのである。しかしこの考え方たるや非常な誤りであって、無どころではない。人類にとってこれ程重要なるものはない程のものが、確実に存在している事である。にもかかわらずそれがなぜ今日まで分っていなかったかというと、全く唯物科学にのみ依存して来た結果であるからで、すなわち唯物科学においての理論は、見えざるものは無と決めていた以上、これ程進歩したと思われる唯物科学でも把握出来なかったのである。右のごとく唯物科学で知り得ないものは、ことごとく否定の闇に葬ってしまった。その独断的観念こそ、学者の頭脳なるもののいとも頑(かたくな)な偏見さである。これについては多くをいう必要はあるまい程、人類の幸福が文化の進歩に伴わない事実である。それをこれから漸次説き進めてみよう。
以上説いたごとく精神と肉体共に完全なる人間を作るのが真の医学であるとしたら、現代医学は果たして目的通りに進んでいるであろうかをここで検討する時、それは余りにも背反している事実である。それどころではない。むしろ病気を作り、病人を増やしていると言っても過言ではない程の誤りを犯している事で、それをこれから詳しく書いてみるが、まず医学なるものの今日までの根本的考え方である。というのは医学は病気の原因が全然分っていないから、すべて反対に解釈している。もちろん唯物科学本位で進んで来たものとすれば致し方ないであろう。
右の結果医学は病気の場合外部に表われたる苦痛を緩和するのみに専念している。従って医学の進歩とは一時的苦痛緩和法の進歩したものであって、その方法として採られているものが彼の薬剤、機械、放射能等の物質の応用である。なるほどこれによって病気の苦痛は緩和されるので、これで病気が治るものと誤認し、緩和法を続行するのであるが、事実は苦痛緩和と病気の治る事とは、根本的に異(ちが)うのである。すなわち前者は一時的で、後者は永久的であるからである。しかもその苦痛緩和の方法自体が病を作り、病を悪化させる結果なのであるから問題は大きいのである。
何しろ唯物的医学であるから、人体も単なる物質と見るのみか、人間と人間以外の動物をも同一視するのである。それによって動物を研究資料として、病理の発見に努め、たまたま何らかの成果を得るや、直ちに人間に応用するのであるが、これが非常な誤りである。何となれば人間と動物とは形も本質も内容も全く異なっている事で、これに気が付かないのである。この理によって人間の病気は人間を対象として研究されなければならない事は余りにも明らかであって、これ以外人間を治す医学は確立されるはずはないのである。そうして今一つこういう点も知らなければならない事は、動物には人間のような神経作用がないが人間には大いにある。人間が神経作用のために、どのくらい病気に影響するか分らない。例えば一度結核と宣告されるや、この一言で患者の神経は大打撃を受け、目に見えて憔悴(しょうすい)する事実は、医家も一般人もよく知るところであろう。ところが動物にはそういう事が全然ないに見ても肯かれるであろう。
以上によって見る時、現代医学の欠陥は、霊と体で構成されている人間を、霊を無視して体のみを対象とする事と、人間と動物を同一に視ている点で、これが主なるものである事を知らねばならないのである。http://www.tokyo-reimei.or.jp/jp/0301_mok.htm
未発表『文明の創造』昭和27(1952)年執筆
前述のごとく、私は反文明の原因としての、戦争と病気の二大苦を挙げたが、その外に今一つの貧困がある。しかしこれは戦争と病気とが解決出来れば、自然に解決さるるものであるから書かないが、まず戦争の原因から説いてみると、これはもちろん精神的欠陥すなわち心の病気にあるので、これも肉体の病気さえ解決出来れば、共に解決さるべきものである。
右のごとく病気も、戦争も、貧困も同一原因であるとしたら、真の健康人すなわち霊肉共に完全な人間を作ればいいのである。しかしこう言えば至極簡単のようであるが、実はこれが容易でない事は誰も想像されるであろう。しかし私から言えば、決して不可能ではない。何となれば必ず解決出来得るだけの方法を、神から啓示されているからで、これが私の使命でもあり、その一段階としてのこの著である。
従ってまず病気なるものから書いてみるが、病(やまい)と言っても前述の通り、肉体と精神との両方であるが、現代人は普通病とさえ言えば、肉体のみのものと思っているところに誤りがあるので、この精神の不健康者こそ、戦争の原因となるのである。そのような訳でどうしても人間が肉体と精神と共に本当にならない限り、真の文明世界は生まれないのは言うまでもない。ではどうすればそれが実現され得るかというと、それにはもちろんその根本が解ると共に、可能の方法も発見せられなければならない。ところが私はそれに関する根本義を発見し、しかも絶対解決の方法までも把握し得たので、ここに詳細徹底的にかくのである。それについてはまず吾々が住んでいるこの地上の実相から解いてみるが、元来この地上の一切、今日までの学問では物質のみの存在とされており、それ以外は無とされて来たのである。しかしこの考え方たるや非常な誤りであって、無どころではない。人類にとってこれ程重要なるものはない程のものが、確実に存在している事である。にもかかわらずそれがなぜ今日まで分っていなかったかというと、全く唯物科学にのみ依存して来た結果であるからで、すなわち唯物科学においての理論は、見えざるものは無と決めていた以上、これ程進歩したと思われる唯物科学でも把握出来なかったのである。右のごとく唯物科学で知り得ないものは、ことごとく否定の闇に葬ってしまった。その独断的観念こそ、学者の頭脳なるもののいとも頑(かたくな)な偏見さである。これについては多くをいう必要はあるまい程、人類の幸福が文化の進歩に伴わない事実である。それをこれから漸次説き進めてみよう。
以上説いたごとく精神と肉体共に完全なる人間を作るのが真の医学であるとしたら、現代医学は果たして目的通りに進んでいるであろうかをここで検討する時、それは余りにも背反している事実である。それどころではない。むしろ病気を作り、病人を増やしていると言っても過言ではない程の誤りを犯している事で、それをこれから詳しく書いてみるが、まず医学なるものの今日までの根本的考え方である。というのは医学は病気の原因が全然分っていないから、すべて反対に解釈している。もちろん唯物科学本位で進んで来たものとすれば致し方ないであろう。
右の結果医学は病気の場合外部に表われたる苦痛を緩和するのみに専念している。従って医学の進歩とは一時的苦痛緩和法の進歩したものであって、その方法として採られているものが彼の薬剤、機械、放射能等の物質の応用である。なるほどこれによって病気の苦痛は緩和されるので、これで病気が治るものと誤認し、緩和法を続行するのであるが、事実は苦痛緩和と病気の治る事とは、根本的に異(ちが)うのである。すなわち前者は一時的で、後者は永久的であるからである。しかもその苦痛緩和の方法自体が病を作り、病を悪化させる結果なのであるから問題は大きいのである。
何しろ唯物的医学であるから、人体も単なる物質と見るのみか、人間と人間以外の動物をも同一視するのである。それによって動物を研究資料として、病理の発見に努め、たまたま何らかの成果を得るや、直ちに人間に応用するのであるが、これが非常な誤りである。何となれば人間と動物とは形も本質も内容も全く異なっている事で、これに気が付かないのである。この理によって人間の病気は人間を対象として研究されなければならない事は余りにも明らかであって、これ以外人間を治す医学は確立されるはずはないのである。そうして今一つこういう点も知らなければならない事は、動物には人間のような神経作用がないが人間には大いにある。人間が神経作用のために、どのくらい病気に影響するか分らない。例えば一度結核と宣告されるや、この一言で患者の神経は大打撃を受け、目に見えて憔悴(しょうすい)する事実は、医家も一般人もよく知るところであろう。ところが動物にはそういう事が全然ないに見ても肯かれるであろう。
以上によって見る時、現代医学の欠陥は、霊と体で構成されている人間を、霊を無視して体のみを対象とする事と、人間と動物を同一に視ている点で、これが主なるものである事を知らねばならないのである。http://www.tokyo-reimei.or.jp/jp/0301_mok.htm
病気治療は浄霊以外になし
病気治療は浄霊以外になし
未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆
この患者は今日のありとあらゆる療法を施したにかかわらず、よくなったり悪くなったりしながら、病勢は尺進寸退どうにもならなくなり、死の道を歩んでいたところ、本教浄霊を知って救われたのであるから、全く命拾いをした訳である。これ〔略〕をよく読んでみればみる程、現在ある洋楽も漢方薬も、信仰的療法も、その他の療法も効果のあるものは一つもない。そればかりか、ことごとくの療法は治るどころか、病勢悪化させる以外の何物でもない事は、この患者の経過によってみても、実にハッキリしている。従って最初から何らの治療も受けず、自然のままにしておけば、悪化する事は絶対なく、少しずつでも快方に向かったに違いない。あるいはそれで全治したかも知れないのである。
右はもちろんどれもこれも病気の根本を知らないため、よいと思ってする事が、反って悪くなる一方であって、それに気付かず益々横道へ嵌(はま)り込みながら、本道と思って馬車馬的に突進しているので、危険この上もない。そこで神の大愛は医学の迷蒙を分らせるべく与えられたものがこの浄霊法である。
未発表『医学革命の書』昭和28(1953)年執筆
この患者は今日のありとあらゆる療法を施したにかかわらず、よくなったり悪くなったりしながら、病勢は尺進寸退どうにもならなくなり、死の道を歩んでいたところ、本教浄霊を知って救われたのであるから、全く命拾いをした訳である。これ〔略〕をよく読んでみればみる程、現在ある洋楽も漢方薬も、信仰的療法も、その他の療法も効果のあるものは一つもない。そればかりか、ことごとくの療法は治るどころか、病勢悪化させる以外の何物でもない事は、この患者の経過によってみても、実にハッキリしている。従って最初から何らの治療も受けず、自然のままにしておけば、悪化する事は絶対なく、少しずつでも快方に向かったに違いない。あるいはそれで全治したかも知れないのである。
右はもちろんどれもこれも病気の根本を知らないため、よいと思ってする事が、反って悪くなる一方であって、それに気付かず益々横道へ嵌(はま)り込みながら、本道と思って馬車馬的に突進しているので、危険この上もない。そこで神の大愛は医学の迷蒙を分らせるべく与えられたものがこの浄霊法である。
冷及び便秘
冷及び便秘
『明日の医術(初版)第二編』昭和17(1942)年9月28日発行
冷の原因は、局部的発熱又は局部的毒素溜結の為である。多くは腰、下腹部、脚部、足の指先等であるが、それ等局所に滞溜する毒素の浄化作用の発熱によつての局部的悪寒なのである。然るに、全身的悪寒の場合は悪寒として感ずると同じ意味に於て、局部的の場合は冷として感ずるのである。故に、全身的悪寒の際、何程衣類を重ねても暖くならないと同様、下半身が冷ゆる場合、婦人などは、何枚もの腰巻を巻いても猶冷ゆるといふのは右の理に由るからである。唯だ膝下から爪先へかけて非常に冷い人がある。之は毒素溜結の為血液不循環であるのに対し、右の部は空気に晒され易い為、冷却が慢性的となつてゐるからである。
次に、便秘症は非常に多く、何年も何十年も苦しむのであるが、此原因は、腹膜即ち臍の周囲から下腹部へかけて毒素溜結があり、それが糞便の通路である直腸を圧迫するのでその為、通路が狭小となり、硬便は閊(つか)へて通り難くなるのである。故に、右の毒素を溶解するに於て容易に治癒するので、私が治療の際、例外なく治癒したのである。
又、便秘症の人は下剤によつて辛くも目的を達するが、之はどういふ訳かといふと、人間は飲食物に毒分のある場合中毒し、嘔吐又は下痢を起すのである。それは自然浄化による排泄作用である。下剤は此理を応用したもので、即ち、中毒作用を起す薬剤を服用するので中毒を起し、それが下痢即ち液体便となり、それが猶も硬化せる宿便を液体化し押出すので、狭小なる直腸も、液体なるが故に通過し易くなるのである。然し、右の理によつて下剤を長年月持続するに於て、其中毒による害も軽々に出来ないので、腎臓病其他種々の病原となり死の原因となる事もある。
又医学に於ては、便秘は病気の原因になるやうに思つて頗る恐れるのであるが、之も、大いなる誤りである。私の実験によれば、嘗(かつ)て四拾余歳の男子の胃癌の患者があつて、二ケ月位の治療で全快したのであつたが、治療期間中、弍拾八日間、便通が無かつた事があるが、病気に対し、その為の影響は聊かもなかつたのである。其人は今も健康で、農業に従事してゐるそうである。其後扱つた一人の患者の話によれば、その人は二ケ月間便秘した事があつたといふ事又今一人の患者は六ケ月間便秘したといふ、それでも右両人共何等異状は無かつたといふ事であつた。之等によつてみても便秘なるものは、些かも悪影響のあるものでない事が判るであらう。
次に、医学に於て、便秘を放任しておくと自家中毒なるものが発生し、それが何等かの病原になるといふのであるが、之も誤りである。如何なる理由からそういふ説がおきたものであるか。多分宿便が血液中にでも侵入するやうに想像したのであらうが、私は人体内の真相が判明したならば、自家中毒なる言葉は消滅すると思ふのである。
『明日の医術(初版)第二編』昭和17(1942)年9月28日発行
冷の原因は、局部的発熱又は局部的毒素溜結の為である。多くは腰、下腹部、脚部、足の指先等であるが、それ等局所に滞溜する毒素の浄化作用の発熱によつての局部的悪寒なのである。然るに、全身的悪寒の場合は悪寒として感ずると同じ意味に於て、局部的の場合は冷として感ずるのである。故に、全身的悪寒の際、何程衣類を重ねても暖くならないと同様、下半身が冷ゆる場合、婦人などは、何枚もの腰巻を巻いても猶冷ゆるといふのは右の理に由るからである。唯だ膝下から爪先へかけて非常に冷い人がある。之は毒素溜結の為血液不循環であるのに対し、右の部は空気に晒され易い為、冷却が慢性的となつてゐるからである。
次に、便秘症は非常に多く、何年も何十年も苦しむのであるが、此原因は、腹膜即ち臍の周囲から下腹部へかけて毒素溜結があり、それが糞便の通路である直腸を圧迫するのでその為、通路が狭小となり、硬便は閊(つか)へて通り難くなるのである。故に、右の毒素を溶解するに於て容易に治癒するので、私が治療の際、例外なく治癒したのである。
又、便秘症の人は下剤によつて辛くも目的を達するが、之はどういふ訳かといふと、人間は飲食物に毒分のある場合中毒し、嘔吐又は下痢を起すのである。それは自然浄化による排泄作用である。下剤は此理を応用したもので、即ち、中毒作用を起す薬剤を服用するので中毒を起し、それが下痢即ち液体便となり、それが猶も硬化せる宿便を液体化し押出すので、狭小なる直腸も、液体なるが故に通過し易くなるのである。然し、右の理によつて下剤を長年月持続するに於て、其中毒による害も軽々に出来ないので、腎臓病其他種々の病原となり死の原因となる事もある。
又医学に於ては、便秘は病気の原因になるやうに思つて頗る恐れるのであるが、之も、大いなる誤りである。私の実験によれば、嘗(かつ)て四拾余歳の男子の胃癌の患者があつて、二ケ月位の治療で全快したのであつたが、治療期間中、弍拾八日間、便通が無かつた事があるが、病気に対し、その為の影響は聊かもなかつたのである。其人は今も健康で、農業に従事してゐるそうである。其後扱つた一人の患者の話によれば、その人は二ケ月間便秘した事があつたといふ事又今一人の患者は六ケ月間便秘したといふ、それでも右両人共何等異状は無かつたといふ事であつた。之等によつてみても便秘なるものは、些かも悪影響のあるものでない事が判るであらう。
次に、医学に於て、便秘を放任しておくと自家中毒なるものが発生し、それが何等かの病原になるといふのであるが、之も誤りである。如何なる理由からそういふ説がおきたものであるか。多分宿便が血液中にでも侵入するやうに想像したのであらうが、私は人体内の真相が判明したならば、自家中毒なる言葉は消滅すると思ふのである。
坊ちゃんを作る健康法
坊ちゃんを作る健康法
『光』20号、昭和24(1949)年7月30日発行
現代医学の衛生法や健康法は、換言すれば坊ちゃんを作る方法である、というとおかしな話だが、それはこういう訳である。
現代医学の健康法として言うところは人間は無理をしてはいけない、睡眠不足もいけない、消化の良い物を食え、物をよく咀嚼(そしゃく)せよ、寒い思いをするな、腹巻をしないと腹が冷える、外出から帰った時は必ず含嗽(うがい)をしろ――等々である。
ところが、仮に右の通りの健康法を実行するとすれば果して健康になり得るであろうかというと私はその反対である事を明言する、それは必ず虚弱者になる事で、今簡単に解説してみよう。
まず無理であるが、人間は無理をするだけ健康になるのである、その証拠にはスポーツマンがレコードを作る場合、極端な無理をする、そのため技能が発達する、水泳の古橋君のごときはその最たるものだ、この理によって無理をすると無理の出来ただけ健康が増すのである、何よりも私は今年六十七歳になるが、山野を跋捗(ばっしょう)する場合若い者は私に敵わないので驚いている、もちろん原因は私は無理をするからである。
睡眠不足は、結核の原因になるなどというがこれも反対である、その訳は最も睡眠不足の階級としては宿屋、料理屋、待合の女中、芸妓等であろう、ところが事実この階級は結核が一番少ないという事は医学でも言われている、ゆえに私はなるべく睡眠不足の方針をとっている。
消化の良い物を食うと、胃の活動力が鈍る、よく噛む事も同様で、造物主は消化の良い物悪い物、多種多様に造られてある以上、それらを適当に食えという意味である、ゆえに烏賊(いか)、海鼠(なまこ)、蛸(たこ)、沢俺(たくあん)、梅干、茄子(なす)等いずれも不消化物と思えるが食いたい物は何でも食うのが本当だ。
風邪を引く事を恐れるが、風邪は最も簡単な健康増進法であり、神が与えた唯一の恩恵である事は私が常に唱うる所である。
腹巻をすると、腹部の皮膚が軟弱になるから、たまたま外した場合冷えるので、腹巻を用いないと腹の皮膚が丈夫になるから冷っこない、ゆえに私も家族も決して腹巻はしない事にしている。
含嗽(うがい)はしない方がよい、何となれば人間の唾は強力な殺菌作用がある、虫類によっては人間の唾で弱るのがある。その証拠には蚤(のみ)をとる場合指に唾をつけて蚤をおさえると蚤は弱る、それ程殺菌力ある唾を含嗽で一時的なくすのはむしろ含嗽時は危険という事になる。
以上の説明は理屈ではない、実際に即している事ばかりで何人も肯き得るであろう。ゆえに医学の健康法は、人間でいえば苦労をさせないようにして甘く育てる坊ちゃん式で、社会へ出ると抵抗力のない役に立たない人間になるのと同様の理である。
(注)
古橋君(古橋 廣之進)、1928年生まれ。日本水泳連盟会長。昭和23年、ロンドン五輪の参加を許されなかった日本水泳界は、この年の日本選手権をオリンピックと同じ日程で開催。古橋は1500m自由形で、18分37秒0の当時の世界新記録で優勝。ロンドンで五輪での優勝記録は19分18秒5だった。その後も数々の世界新記録を出し、「フジヤマのトビウオ」とよばれた。
『光』20号、昭和24(1949)年7月30日発行
現代医学の衛生法や健康法は、換言すれば坊ちゃんを作る方法である、というとおかしな話だが、それはこういう訳である。
現代医学の健康法として言うところは人間は無理をしてはいけない、睡眠不足もいけない、消化の良い物を食え、物をよく咀嚼(そしゃく)せよ、寒い思いをするな、腹巻をしないと腹が冷える、外出から帰った時は必ず含嗽(うがい)をしろ――等々である。
ところが、仮に右の通りの健康法を実行するとすれば果して健康になり得るであろうかというと私はその反対である事を明言する、それは必ず虚弱者になる事で、今簡単に解説してみよう。
まず無理であるが、人間は無理をするだけ健康になるのである、その証拠にはスポーツマンがレコードを作る場合、極端な無理をする、そのため技能が発達する、水泳の古橋君のごときはその最たるものだ、この理によって無理をすると無理の出来ただけ健康が増すのである、何よりも私は今年六十七歳になるが、山野を跋捗(ばっしょう)する場合若い者は私に敵わないので驚いている、もちろん原因は私は無理をするからである。
睡眠不足は、結核の原因になるなどというがこれも反対である、その訳は最も睡眠不足の階級としては宿屋、料理屋、待合の女中、芸妓等であろう、ところが事実この階級は結核が一番少ないという事は医学でも言われている、ゆえに私はなるべく睡眠不足の方針をとっている。
消化の良い物を食うと、胃の活動力が鈍る、よく噛む事も同様で、造物主は消化の良い物悪い物、多種多様に造られてある以上、それらを適当に食えという意味である、ゆえに烏賊(いか)、海鼠(なまこ)、蛸(たこ)、沢俺(たくあん)、梅干、茄子(なす)等いずれも不消化物と思えるが食いたい物は何でも食うのが本当だ。
風邪を引く事を恐れるが、風邪は最も簡単な健康増進法であり、神が与えた唯一の恩恵である事は私が常に唱うる所である。
腹巻をすると、腹部の皮膚が軟弱になるから、たまたま外した場合冷えるので、腹巻を用いないと腹の皮膚が丈夫になるから冷っこない、ゆえに私も家族も決して腹巻はしない事にしている。
含嗽(うがい)はしない方がよい、何となれば人間の唾は強力な殺菌作用がある、虫類によっては人間の唾で弱るのがある。その証拠には蚤(のみ)をとる場合指に唾をつけて蚤をおさえると蚤は弱る、それ程殺菌力ある唾を含嗽で一時的なくすのはむしろ含嗽時は危険という事になる。
以上の説明は理屈ではない、実際に即している事ばかりで何人も肯き得るであろう。ゆえに医学の健康法は、人間でいえば苦労をさせないようにして甘く育てる坊ちゃん式で、社会へ出ると抵抗力のない役に立たない人間になるのと同様の理である。
(注)
古橋君(古橋 廣之進)、1928年生まれ。日本水泳連盟会長。昭和23年、ロンドン五輪の参加を許されなかった日本水泳界は、この年の日本選手権をオリンピックと同じ日程で開催。古橋は1500m自由形で、18分37秒0の当時の世界新記録で優勝。ロンドンで五輪での優勝記録は19分18秒5だった。その後も数々の世界新記録を出し、「フジヤマのトビウオ」とよばれた。
暴力は野蛮時代の遺物なり
暴力は野蛮時代の遺物なり
『栄光』139号、昭和27(1952)年1月16日発行
これほど進歩した文明世界であっても、暴力なるものは、依然としてあらゆる方面に猛威を逞(たくま)しゅうしている。その中で最大なるものとしてはもちろん戦争であるが、次は何と言っても暴力による革命であろう。しかし昔の革命には暴力が付物となっていたが、これは今日のように文化が発達していなかったからで、それは権力者の横暴による虐政によって人権は無視され、生命までも脅かされる危険があるので、これを打破し自由なる社会を作るには、当時としては暴力以外に手段がなかったから、止むなく人民は武器を執ったのであるが、しかし今日の時代は全然違っている。よしんば今日革命を決行しようとしても、ソ連を除いたほとんどの国家は、民主主義になっており、言論の自由も許されている以上何ら暴力の必要はないから、合法的手段によって輿論を喚起し、平和裡に充分目的を達し得るので、この点全く文明の賜物というべきである。
ところが今もって現在の世界には、暴力を捨て切れない国家も民族も、階級も個人も相当あるのだから厄介だ。私がいつもいうごとく、現在はまだ半文明、半野蛮の域を脱していないと言うのもその意味である。こうみてくるとその野蛮性を一日も早く払拭する事こそ、吾ら宗教人に課せられたる使命でなくてはならない。ところがその野蛮性の一種にいまだ何人も気が付かないところに重大なものが伏在している事である。それは医学における外科的療法である。それは今仮に人体のどこかに病気が発生し、内科やその他の方法で治らないとすると、ここに外科的手段による事を可とする、すなわち患部を切り除ってしまうのである。しかもそれを進歩した医術と思っているのであるから、軽視出来ない問題である。見よその方法たるや肉を切り、血を出し骨を削り、臓器までも摘出するのであるから、その苦痛たるや名状すべからざる物があり、その無惨なる到底見るに堪えないので近親者にさえ見る事を許さない程である。この点にも吾々は野蛮性がまだ残っていることを痛感するのである。なるほどこのようにしなければ病気は治らないとしたら、また止むを得ないとも言えるが、そのような事をせずとも何らの苦痛なく、完全に病気を治し得る方法があるとしたら、恐らくこれ程人類にとって大なる恩恵はないであろう。ところがこの理想的医学が本教の浄霊療法であるとしたら、右のごとく吾々にして初めて言い得るのである。
言うまでもなく我浄霊療法は、何ら物質を用いず、患部に全然触れる事なくして、完全に病気が治癒されるのであって、苦痛もなく不具者にもならず、元通りの健康体になり、再発の憂いもないとしたら、これ程素晴しい理想的療法はあるまい。これこそ全く文化的医学と言わずして何ぞやと言いたいのである。従っていずれは世界の医学はこの療法一つになるのは、断言してはばからないのである。
以上のごとく何人も今日まで気が付かない、医学の野蛮性を暴露したのであるが、吾々は世界にある一切の野蛮性を消滅せんとするのが神意である。としたらこれもまた止むを得ないのである。全世界の医学者よ、この論文を読んで深く考えて貰いたいのである。
『栄光』139号、昭和27(1952)年1月16日発行
これほど進歩した文明世界であっても、暴力なるものは、依然としてあらゆる方面に猛威を逞(たくま)しゅうしている。その中で最大なるものとしてはもちろん戦争であるが、次は何と言っても暴力による革命であろう。しかし昔の革命には暴力が付物となっていたが、これは今日のように文化が発達していなかったからで、それは権力者の横暴による虐政によって人権は無視され、生命までも脅かされる危険があるので、これを打破し自由なる社会を作るには、当時としては暴力以外に手段がなかったから、止むなく人民は武器を執ったのであるが、しかし今日の時代は全然違っている。よしんば今日革命を決行しようとしても、ソ連を除いたほとんどの国家は、民主主義になっており、言論の自由も許されている以上何ら暴力の必要はないから、合法的手段によって輿論を喚起し、平和裡に充分目的を達し得るので、この点全く文明の賜物というべきである。
ところが今もって現在の世界には、暴力を捨て切れない国家も民族も、階級も個人も相当あるのだから厄介だ。私がいつもいうごとく、現在はまだ半文明、半野蛮の域を脱していないと言うのもその意味である。こうみてくるとその野蛮性を一日も早く払拭する事こそ、吾ら宗教人に課せられたる使命でなくてはならない。ところがその野蛮性の一種にいまだ何人も気が付かないところに重大なものが伏在している事である。それは医学における外科的療法である。それは今仮に人体のどこかに病気が発生し、内科やその他の方法で治らないとすると、ここに外科的手段による事を可とする、すなわち患部を切り除ってしまうのである。しかもそれを進歩した医術と思っているのであるから、軽視出来ない問題である。見よその方法たるや肉を切り、血を出し骨を削り、臓器までも摘出するのであるから、その苦痛たるや名状すべからざる物があり、その無惨なる到底見るに堪えないので近親者にさえ見る事を許さない程である。この点にも吾々は野蛮性がまだ残っていることを痛感するのである。なるほどこのようにしなければ病気は治らないとしたら、また止むを得ないとも言えるが、そのような事をせずとも何らの苦痛なく、完全に病気を治し得る方法があるとしたら、恐らくこれ程人類にとって大なる恩恵はないであろう。ところがこの理想的医学が本教の浄霊療法であるとしたら、右のごとく吾々にして初めて言い得るのである。
言うまでもなく我浄霊療法は、何ら物質を用いず、患部に全然触れる事なくして、完全に病気が治癒されるのであって、苦痛もなく不具者にもならず、元通りの健康体になり、再発の憂いもないとしたら、これ程素晴しい理想的療法はあるまい。これこそ全く文化的医学と言わずして何ぞやと言いたいのである。従っていずれは世界の医学はこの療法一つになるのは、断言してはばからないのである。
以上のごとく何人も今日まで気が付かない、医学の野蛮性を暴露したのであるが、吾々は世界にある一切の野蛮性を消滅せんとするのが神意である。としたらこれもまた止むを得ないのである。全世界の医学者よ、この論文を読んで深く考えて貰いたいのである。
痔について
痔
『アメリカを救う』P.141、昭和28(1953)年1月1日発行
この病気の原因はもちろん薬毒であるが、その固結個所が後頭部及び股間鼠蹊部が主で、その他全身的にある毒血が、浄化によって溶け、肛門部から出ようとする。それが脱肛、痔核、出血、痛み、痒み等の症状である。ただ痔瘻(じろう)はちょっと違う。これは薬毒の強烈なのが肛門部に溜結し、排泄されようとして小形の腫物になり非常に痛むものである。これを放っておけば少しずつ破れた粘膜から滲出、あるいは小穴が穿いて排泄され治るのであるが、これに無知である医学は手術をするが、これが大変な誤りである。というのは手術で固結を除くや、必ずその隣にまた出来る。また切るというように、ついには蜂の巣のようになり、堪えられぬ程の激痛が続いて苦しむものである。
ここで注意したい事は、痔瘻に限らずいかなる腫物でも、自然にしておけば腫れるだけ腫れて、末期になると、その部が紅くブヨブヨになって小さな穴が穿き、血膿が出て治るものであるから、いかに大きな腫物でも必ず治るから心配はないのである。ところが手術はもちろんだが、針の頭くらいの穴でも穿けたが最後、毒素の集中は停ってしまい隣接部へ腫れる。またいじるとその隣へというように、膿のあるだけは幾つでも腫れるので、頸部淋巴腺の場合など呼吸困難となり、生命までも失う事があるから、大いに注意すべきである。
『アメリカを救う』P.141、昭和28(1953)年1月1日発行
この病気の原因はもちろん薬毒であるが、その固結個所が後頭部及び股間鼠蹊部が主で、その他全身的にある毒血が、浄化によって溶け、肛門部から出ようとする。それが脱肛、痔核、出血、痛み、痒み等の症状である。ただ痔瘻(じろう)はちょっと違う。これは薬毒の強烈なのが肛門部に溜結し、排泄されようとして小形の腫物になり非常に痛むものである。これを放っておけば少しずつ破れた粘膜から滲出、あるいは小穴が穿いて排泄され治るのであるが、これに無知である医学は手術をするが、これが大変な誤りである。というのは手術で固結を除くや、必ずその隣にまた出来る。また切るというように、ついには蜂の巣のようになり、堪えられぬ程の激痛が続いて苦しむものである。
ここで注意したい事は、痔瘻に限らずいかなる腫物でも、自然にしておけば腫れるだけ腫れて、末期になると、その部が紅くブヨブヨになって小さな穴が穿き、血膿が出て治るものであるから、いかに大きな腫物でも必ず治るから心配はないのである。ところが手術はもちろんだが、針の頭くらいの穴でも穿けたが最後、毒素の集中は停ってしまい隣接部へ腫れる。またいじるとその隣へというように、膿のあるだけは幾つでも腫れるので、頸部淋巴腺の場合など呼吸困難となり、生命までも失う事があるから、大いに注意すべきである。
自然を尊重せよ
自然を尊重せよ
『結核の革命的療法』昭和26(1951)年8月15日発行
医学では、安静を最も重要とされているが、これは前にも述べたごとく大変な間違いである。ではどうするのが一番いいかというと、何よりも自然である。自然とは自分の身体を拘束する事なく、無理のないよう気儘(きまま)にする事である。例えば熱があって大儀な時は、寝ろという命令を身体がすると思い、寝ればいいのである。また寝たくない起きたいと思うのは、起きるべしと命令されたと思い、起きればいいのである。歩きたければ歩き、駈出したければ駈出し、大きな声で唄いたければ唄うがいい。というように、何でも心の命ずるままにするのが本当である。気が向かない、心に満たない事は止すことである。要するにどこまでも自然である。これが結核に限らず、いかなる病に対しても同じ事がいえる。
食物も同様で、食べたい物を食べたい時に食べたいだけ食う。これが最もいいのである。薬はもちろん不可(いけ)ないが、食物としても薬だからとか、滋養になるとかいって、欲しくないものを我慢して食ったり、欲しいものを我慢して食わなかったりするのも間違っている。人体に必要なものは食べたい意欲が起ると共に、食べたくないものは食べるなという訳である。そうして結核に特に悪いのは動物性蛋白である。少しは差支えないが、なるべく野菜を多く摂る方がよい。ところが今日の医学は、栄養は魚鳥獣肉に多いとして奨めるが、これが大変な誤りで、必ず衰弱を増すのである。本来栄養とは植物性に多くある。考えてもみるがいい。動物性のもののみを食っていれば、敗血症などが起って必ず病気になり、生命にかかわる事さえもある。それに反して菜食はいくらしても健康にこそなれ、病気には決して罹らないばかりか、長寿者となるに見ても明らかである。これについて私の体験をかいてみるが、私は若い頃結核で死の宣告を受けた時、それまで動物性食餌を多量に摂っていたのを、ある動機でその非を覚り、菜食にしてみたところ、それからメキメキ恢復に向かったので、医学の間違っている事を知り、薬も廃めてしまい、三ケ月間絶対菜食を続けたところ、それで病気はスッカリ治り、病気以前よりも健康体となったのである。その後他の病気はしたが結核のケの字もなく、六十八歳の今日に到るも矍鑠(かくしゃく)として壮者を凌(しの)ぐものがある。もしその時それに気が付かなかったとしたら、無論あの世へ旅立っていたに違いないと、今でも思う度にゾッとするのである。
今一つは喀血の場合である。これこそ菜食が最もいい。以前こういう患者があった。肉食するとその翌日必ず喀血するが、菜食をするとすぐ止まるという、実にハッキリしていた。これでみても菜食のよい事は間違いないのである。
今一つは、医師は疲労と睡眠不足を不可として戒めるが、これも間違っている。それは原理を知らないからで、疲労とはもちろん運動のためで、運動すれば足や腰を活動させるから、その部にある毒素に浄化作用が起り、微熱が発生する、微熱が出れば疲労感を催す、それが疲れである。しかしそれだけ毒素が減るのだから結構なのである。何よりも運動をさかんに行い、常に疲労を繰返す人は健康であるに見ても判るである。だから草臥(くたび)れた際足や腰の辺りを触ってみれば必ず微熱があるにみて、それだけ毒が溶ける訳である。
また睡眠不足は、結核には何ら影響はない、むしろいいくらいである。これは事実によってみればよく判る。何よりも睡眠不足の階級を見るがいい。旅館の従業員や花柳界の人達には、結核が最も少ないと医学でも言われている。
これについても説明してみるが、睡眠不足だと起きている時間が長くなるから、活動の時が多くなり、浄化が余計起るからそれだけ疲れるのである。ところが逆解的医学である以上、睡眠不足を不可とするのである。今一つこういう事でも判る。それは普通朝は熱が低く、午後三時か四時頃になると熱が出てくる。これも右の理と同様で、たとえ寝ていても神経を使うから浄化が起るのである。
『結核の革命的療法』昭和26(1951)年8月15日発行
医学では、安静を最も重要とされているが、これは前にも述べたごとく大変な間違いである。ではどうするのが一番いいかというと、何よりも自然である。自然とは自分の身体を拘束する事なく、無理のないよう気儘(きまま)にする事である。例えば熱があって大儀な時は、寝ろという命令を身体がすると思い、寝ればいいのである。また寝たくない起きたいと思うのは、起きるべしと命令されたと思い、起きればいいのである。歩きたければ歩き、駈出したければ駈出し、大きな声で唄いたければ唄うがいい。というように、何でも心の命ずるままにするのが本当である。気が向かない、心に満たない事は止すことである。要するにどこまでも自然である。これが結核に限らず、いかなる病に対しても同じ事がいえる。
食物も同様で、食べたい物を食べたい時に食べたいだけ食う。これが最もいいのである。薬はもちろん不可(いけ)ないが、食物としても薬だからとか、滋養になるとかいって、欲しくないものを我慢して食ったり、欲しいものを我慢して食わなかったりするのも間違っている。人体に必要なものは食べたい意欲が起ると共に、食べたくないものは食べるなという訳である。そうして結核に特に悪いのは動物性蛋白である。少しは差支えないが、なるべく野菜を多く摂る方がよい。ところが今日の医学は、栄養は魚鳥獣肉に多いとして奨めるが、これが大変な誤りで、必ず衰弱を増すのである。本来栄養とは植物性に多くある。考えてもみるがいい。動物性のもののみを食っていれば、敗血症などが起って必ず病気になり、生命にかかわる事さえもある。それに反して菜食はいくらしても健康にこそなれ、病気には決して罹らないばかりか、長寿者となるに見ても明らかである。これについて私の体験をかいてみるが、私は若い頃結核で死の宣告を受けた時、それまで動物性食餌を多量に摂っていたのを、ある動機でその非を覚り、菜食にしてみたところ、それからメキメキ恢復に向かったので、医学の間違っている事を知り、薬も廃めてしまい、三ケ月間絶対菜食を続けたところ、それで病気はスッカリ治り、病気以前よりも健康体となったのである。その後他の病気はしたが結核のケの字もなく、六十八歳の今日に到るも矍鑠(かくしゃく)として壮者を凌(しの)ぐものがある。もしその時それに気が付かなかったとしたら、無論あの世へ旅立っていたに違いないと、今でも思う度にゾッとするのである。
今一つは喀血の場合である。これこそ菜食が最もいい。以前こういう患者があった。肉食するとその翌日必ず喀血するが、菜食をするとすぐ止まるという、実にハッキリしていた。これでみても菜食のよい事は間違いないのである。
今一つは、医師は疲労と睡眠不足を不可として戒めるが、これも間違っている。それは原理を知らないからで、疲労とはもちろん運動のためで、運動すれば足や腰を活動させるから、その部にある毒素に浄化作用が起り、微熱が発生する、微熱が出れば疲労感を催す、それが疲れである。しかしそれだけ毒素が減るのだから結構なのである。何よりも運動をさかんに行い、常に疲労を繰返す人は健康であるに見ても判るである。だから草臥(くたび)れた際足や腰の辺りを触ってみれば必ず微熱があるにみて、それだけ毒が溶ける訳である。
また睡眠不足は、結核には何ら影響はない、むしろいいくらいである。これは事実によってみればよく判る。何よりも睡眠不足の階級を見るがいい。旅館の従業員や花柳界の人達には、結核が最も少ないと医学でも言われている。
これについても説明してみるが、睡眠不足だと起きている時間が長くなるから、活動の時が多くなり、浄化が余計起るからそれだけ疲れるのである。ところが逆解的医学である以上、睡眠不足を不可とするのである。今一つこういう事でも判る。それは普通朝は熱が低く、午後三時か四時頃になると熱が出てくる。これも右の理と同様で、たとえ寝ていても神経を使うから浄化が起るのである。
自然療法
自然療法(岡田茂吉師御論文です)
『日本医術講義録』第1篇、昭和10(1935)年執筆
元来、人間なる者は、神が造り給うた、森羅万象の中において、他に比ぶべき物なき最高の芸術品ともいうべきものである。神に似せて造ったという聖書の言葉は、確かに真理である。故に、その霊妙不可思議なる構造たるや、到底科学などに依って解明せらるべきものではない、ただ極表面又は一部分のみが漸(ようや)く科学に依って知り得た位のものであるから、科学に依って解決するには、今後、幾千年を要するか、又は結局解決出来得ないかは断言出来ないのである。少し落着いて考えてみるがいい、人間の四肢五体の働きは勿論の事であるが、微妙なる意志想念の動き、喜怒哀楽等の心の表現、蚤の歯で喰ってさえ痒(かゆ)くって堪らない程の神経の敏感、舌一枚で、あらゆる意志を伝え、その舌が又あらゆる飲食を味わい、又世界の人類十八億をみても、一尺に足らない顔が尽(ことごと)く違うという不思議さ、それら諸々の事を考えただけでも、造物主の創作力に対し、讃嘆せずにはおられない。特に、生殖作用に到っては、一個の人間を創造さるる過程の神秘さは、言葉に絶するものがある。故に、ロボットのごとく、科学で造った人間でない限り、生命の神秘は、科学では解決付かない事は当り前の事である。人あるいはいわん、恐るべき天然痘が種痘に依って解決出来たではないかと。しかし、その事について、観世音よりの霊告に依れば、実は、何千年以前は、天然痘はなかったのである。それが人間の罪穢に依って出来たものであって、癩病、梅毒等と同じ様なもので、彼の癩病が一名天刑病と言わるるに見ても判るのである。その罪穢の清算たる天然痘の、その清算を免れんが為の種痘であるから、本当から言えば決して良くないのである。これが為に、人間の健康を弱らせ、寿命をいかに縮めつつあるかは、天然痘に罹るよりも、その損失は甚大なのである。しかし、今日といえども、行を正しくなし、天則に反せざる人であったならば、種痘をしなくても決して、天然痘に罹るべきはずがないのである。とは言うものの、そういう立派な人間は、未だ寥々(りょうりょう)たるものであるから、大光明世界実現までは、種痘も又止むを得ないであろう。大光明世界になった暁は、今日の伝染病や重病は全く跡を絶つのであって、風邪とか下痢位が、病気として遺(のこ)るだけなのである。
次に、人間が一度病気に罹るや、それを駆逐解消すべき、人間自体の大活動が起るのである。それは、自家製造の薬が出来るのである。人間の肉体は、元々大薬局と医学博士を兼ねた様なもので、病気という不純物が侵入するや否や、肉体内に病院を建ててる自家医学博士が即時診断、即時薬剤師に調剤させて病気治療を始めるのである。それは素晴しい薬や器〔機〕械であって、実によく治すのである。毒な物を食えば、早速、体内薬局から下剤をかけて下痢をさせ排出するのである。悪い黴菌が飛込めば、熱という大殺菌作用の治療法が行われ、又、物に中毒をすれば、内臓へ入れまいと外部へ押出して、皮膚に赤く斑点を現わし、痒みと熱を以て消失せしめ、又中毒によっては、腎臓の大活動となり、水分で洗い、小便に依って排泄せしめ、塵埃を多量に吸えば、痰にして吐き出す等、実に巧妙を極めたものである。であるから、あらゆる病気は、自然に放置しておけば大抵は治るのである。それを知らないから、科学で研究された薬や療法を用ゆるので、それが自然治療作用へ対して、大いに妨害になり、病気を長延(ながび)かせるのである。これを実証するには、諸君、もし病気に罹ったら極めて自然に放置せられよ。その全快の神速なる意外の感に打たるべし。
ただし、その場合、徹頭徹尾自然を尊ぶので、寝たければ寝、起きたければ起き、歩きたければ歩き、食べたければ喰べ、喰べたくなければ食欲の起るまでは、二日でも三日でも喰べないでいい。熱が高ければ水枕位はいいとして、出来るだけ、手当をしないのがいいのである。
こうすれば、いかなる病気も、実によく治るのである。
自然療法を推奨すると、医学は全然、必要がないかというと、そうばかりでもない。医学の中にも、全然、無益でないものもある。
それは、細菌学、衛生学の一部、戦争の際の外科、歯科医学、接骨等である。
『日本医術講義録』第1篇、昭和10(1935)年執筆
元来、人間なる者は、神が造り給うた、森羅万象の中において、他に比ぶべき物なき最高の芸術品ともいうべきものである。神に似せて造ったという聖書の言葉は、確かに真理である。故に、その霊妙不可思議なる構造たるや、到底科学などに依って解明せらるべきものではない、ただ極表面又は一部分のみが漸(ようや)く科学に依って知り得た位のものであるから、科学に依って解決するには、今後、幾千年を要するか、又は結局解決出来得ないかは断言出来ないのである。少し落着いて考えてみるがいい、人間の四肢五体の働きは勿論の事であるが、微妙なる意志想念の動き、喜怒哀楽等の心の表現、蚤の歯で喰ってさえ痒(かゆ)くって堪らない程の神経の敏感、舌一枚で、あらゆる意志を伝え、その舌が又あらゆる飲食を味わい、又世界の人類十八億をみても、一尺に足らない顔が尽(ことごと)く違うという不思議さ、それら諸々の事を考えただけでも、造物主の創作力に対し、讃嘆せずにはおられない。特に、生殖作用に到っては、一個の人間を創造さるる過程の神秘さは、言葉に絶するものがある。故に、ロボットのごとく、科学で造った人間でない限り、生命の神秘は、科学では解決付かない事は当り前の事である。人あるいはいわん、恐るべき天然痘が種痘に依って解決出来たではないかと。しかし、その事について、観世音よりの霊告に依れば、実は、何千年以前は、天然痘はなかったのである。それが人間の罪穢に依って出来たものであって、癩病、梅毒等と同じ様なもので、彼の癩病が一名天刑病と言わるるに見ても判るのである。その罪穢の清算たる天然痘の、その清算を免れんが為の種痘であるから、本当から言えば決して良くないのである。これが為に、人間の健康を弱らせ、寿命をいかに縮めつつあるかは、天然痘に罹るよりも、その損失は甚大なのである。しかし、今日といえども、行を正しくなし、天則に反せざる人であったならば、種痘をしなくても決して、天然痘に罹るべきはずがないのである。とは言うものの、そういう立派な人間は、未だ寥々(りょうりょう)たるものであるから、大光明世界実現までは、種痘も又止むを得ないであろう。大光明世界になった暁は、今日の伝染病や重病は全く跡を絶つのであって、風邪とか下痢位が、病気として遺(のこ)るだけなのである。
次に、人間が一度病気に罹るや、それを駆逐解消すべき、人間自体の大活動が起るのである。それは、自家製造の薬が出来るのである。人間の肉体は、元々大薬局と医学博士を兼ねた様なもので、病気という不純物が侵入するや否や、肉体内に病院を建ててる自家医学博士が即時診断、即時薬剤師に調剤させて病気治療を始めるのである。それは素晴しい薬や器〔機〕械であって、実によく治すのである。毒な物を食えば、早速、体内薬局から下剤をかけて下痢をさせ排出するのである。悪い黴菌が飛込めば、熱という大殺菌作用の治療法が行われ、又、物に中毒をすれば、内臓へ入れまいと外部へ押出して、皮膚に赤く斑点を現わし、痒みと熱を以て消失せしめ、又中毒によっては、腎臓の大活動となり、水分で洗い、小便に依って排泄せしめ、塵埃を多量に吸えば、痰にして吐き出す等、実に巧妙を極めたものである。であるから、あらゆる病気は、自然に放置しておけば大抵は治るのである。それを知らないから、科学で研究された薬や療法を用ゆるので、それが自然治療作用へ対して、大いに妨害になり、病気を長延(ながび)かせるのである。これを実証するには、諸君、もし病気に罹ったら極めて自然に放置せられよ。その全快の神速なる意外の感に打たるべし。
ただし、その場合、徹頭徹尾自然を尊ぶので、寝たければ寝、起きたければ起き、歩きたければ歩き、食べたければ喰べ、喰べたくなければ食欲の起るまでは、二日でも三日でも喰べないでいい。熱が高ければ水枕位はいいとして、出来るだけ、手当をしないのがいいのである。
こうすれば、いかなる病気も、実によく治るのである。
自然療法を推奨すると、医学は全然、必要がないかというと、そうばかりでもない。医学の中にも、全然、無益でないものもある。
それは、細菌学、衛生学の一部、戦争の際の外科、歯科医学、接骨等である。
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